シャルリー・エブドは、編集部襲撃10周年に合わせ、32ページの特別号を発行した。
2015年1月7日、パリの風刺週刊誌「シャルリー・エブド」本社に2人の兄弟、シェリフとサイード・コウチが侵入し、12人を殺害した。そのうち8人は編集スタッフで、5人の漫画家(ウォリンスキー、カブー、オノレ、ティニュ、編集長のシャルブ)、校正者(ムスタファ・オラード)、精神分析医(エルザ・カヤット)、反新自由主義経済学者(ベルナール・マリス、通称「ベルナールおじさん」)だった。
風刺画、基本的権利
本特集では、とりわけIfopがジャン=ジョレス財団のために実施した調査結果を掲載する。笑う権利を擁護する人が増えている。そして、神を笑うことさえも。
調査結果によれば、回答者の62%が「宗教的信念、シンボル、教義を挑発的に批判する権利」に 賛成している。
回答者の76%が「表現の自由は基本的権利であり、風刺画の自由もその一つである」と考えている。2012年には58%しかそう考えていなかった。12年間で20%近く増加したことは、並大抵のことではない。
また、ニューヨーク・タイムズ紙が政治漫画の掲載中止を決定したことについての質問に対する結果も公表されている。回答者の66%がこの決定を承認しないと答えた。
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彼らはまた、#RiredeDieu / #MockingGodコンペティションで選ばれたヴィネットをウェブサイトで公開している。
現在、週刊誌の編集部はセキュリティ上の理由から秘密の場所にあり、社員はボディーガードと一緒に歩き回らなければならない。
信じられないほど普遍的」と題された論説で、リスは「10年後、シャルリー・エブドはまだそこにいる」と回想し、このテロが週刊誌の進化にどのような影響を与えたかを検証している。
テロの翌日、私たちは壁に背を向けていた。時事問題のコメンテーターであったシャルリー・エブドは、突然、政治的アクターになったのだ。シャルリーが崩壊し、姿を消せば、テロリストの勝ち。チャーリーが復活すれば、テロリストは失敗する。シャルリー・エブド紙を残すということは、私たちが長年にわたり、文章や絵を通して闘ってきた思想が、単なるおしゃべりではなく、私たちの最も深い信念の表現であることを証明することだった。批評家たちから常に脅かされ、否定され続けたニュースルームを再建しなければならないという苦しみと困難にもかかわらず、テロは私たちの思想の堅固さを試した真実の瞬間だった。というのも、アイデアとは現実の、生きた経験であり、社説で宣言したり走り書きしたりするための美しい言葉ではないからだ。
風刺には、この悲劇的な時代に私たちを助けてくれた美徳がある。笑いたいと感じれば、生きたいと感じるものだ。笑い、皮肉、諷刺は楽観主義の表現である。何が起ころうとも、劇的であろうと幸福であろうと、笑いたいという衝動が消えることはない。
1991年にラ・グロ・ベルサに入社し、シャルブ、リュズ、カブ、フィリップ・ヴァルら、後のチャーリー・エブドのチーム全員と出会う。1992年7月、シャルリー・エブドの再編集に参加。2009年、フィリップ・ヴァルの退社後、シャルブと共同経営。2015年1月7日、襲撃事件で背中を撃たれ、以来、同紙の編集長を務める。